故人が望む葬儀と家族の考え方

私の望む葬儀を今のうちに・・・という思い

近頃、終活という言葉をよく耳にする。
テレビや雑誌でも盛んに取り上げているようだ。
自分の人生の最後の迎え方を考え、いろいろな情報を得て進めていくというものらしい。
確かに若いうちは、なかなか急に自分の終わりが来るとは思っていないことが多いので、そこまで考えたことはなかったが、自分がいざ、病気になって、余命とまではいかなくても、病気と闘っていると、その間には、いろいろと人生の終わりを考えることが多くなる。
立つ鳥跡を濁さず、ではないが、やはりきれいに、残された人には良い思い出をたくさん持ってもらいたいと考えてしまう。
自分以上の良さを感じてもらいたいのかもしれない。

懸案事項は自分の葬儀のやり方

その中で一番の気がかりは葬儀や墓石といった、自分がいなくなった後の始末のことである。
簡単に葬儀は家族で、自分の子供たちに迷惑をかけたくないから、共同墓地や樹木葬で、自分の墓石は持たない、ということが多いらしい。
私も少し前まではこのような考えに賛成だった。
何も残さないほうがすっきるする。

葬儀は本人だけでなく家族の問題でもある。

でも、はたと考える。
子供たちに迷惑をかけたくないから、という理由だけでそうしてしまってよいのだろうか。
先祖を知ることで、その先祖のおかげで今の自分たちが存在しているということを知ることはとても大切なことだと思う。
いろいろな考え方があってよいとは思うが、元気なうちに、何気なく、私はこうしたいという意思表示を家族に示し、それについて意見を聞いておくのが一番だろう。
例えば、こんな花が好き、とか今のお気に入りの服はね、などどたわいのないことでもよいと思う。
なかなか言い出せなかったり、縁起でもないと思うこともあるだろうが、悔いのない人生を送るためにも、終活は必要な気がする。